大判例

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横浜地方裁判所 平成元年(行ウ)24号 判決

原告

岩村計

右訴訟代理人弁護士

小野毅

佐伯剛

星野秀紀

堤浩一郎

影山秀人

小口千恵子

宮澤廣幸

南雲芳夫

鈴木義仁

被告

横浜南労働基準監督署長

大木國男

右指定代理人

池本壽美子

外六名

主文

一  被告が原告に対し昭和六〇年五月一七日付けでした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文同旨

第二事案の概要

本件は、自動車運転者の派遣を業とする会社に雇われ、自動車運転の業務に従事していた原告が、過重な業務が原因でくも膜下出血を発症したと主張して、被告である労働基準監督署長に対し、労働者災害補償保険法に基づき、発症した日の昭和五九年五月一一日から同年一二月三一日までの間の休業補償給付の請求をしたところ、被告から業務起因性を欠くことを理由に休業補償給付を支給しない旨の処分を受けたため、その処分の取消しを求めた事案である。

第三事実の経過

一原告の経歴

原告(昭和四年八月二二日生まれ)は、昭和二六年に自動車運転免許を取得し、トラック、バス、自家用自動車、ハイヤー等の運転業務に従事した後、昭和四八年一〇月、東京海上火災保険株式会社(以下「東京海上」という。)の子会社で、自動車運転者の派遣を業とする東海不動産株式会社(昭和五二年九月に商号を「株式会社東管」に変更した。以下「東管」という。)に入社し、東管と東京海上との間で締結されていた、東管の従業員を東京海上の支店に派遣し、支店管理者の指揮のもとに自動車の運転業務に従事させる旨の契約に基づき、東京海上横浜支店(以下「横浜支店」という。)に支店長付きの運転手として配属された。

二職務の内容

原告の職務は、横浜支店の支店長の出退勤、支社等の巡回、客先回り、料亭やゴルフ場での接待等の送迎を主としていたが、そのほかにも、随時行う支店の幹部職員や顧客の送迎も含まれていた。

送迎の範囲は、横浜支店の管轄する神奈川県全域の支社、出張所のほか、代理店、東京丸の内の東京海上本社、伊豆箱根方面のゴルフ場など、きわめて広範囲に及んでいた。昭和五六年七月に横浜支店に西森千晴支店長が着任してからは、それまで横浜駅までであった支店長の送迎が東京都新宿区所在の支店長の自宅までとなった。

横浜支店には、運転手が原告一人しか配置されていなかったので、原告は、自動車の運転のほか、自動車の清掃、整備等もすべてその職務とされていた。殊に、原告の運転する自動車は、支店長用で、常にきれいにしておく必要があったので、原告は、車庫に帰った後や待機時間中に、清掃は毎日、洗車、ワックスかけは、二、三日に一度の割合で入念に行っていた。また、代車がないため、小さな故障は、原告が二級自動車整備士の技術を生かして修理していた。

三職務の特殊性

1  原告は、出勤が早朝であるため、朝食はとらず、昼食は、食事中に呼び出しを受けてもすぐに運行に取りかかれるよう、握り飯の弁当を持参し、車中で空時間をみつけて手早くとっていた。夕食は、支店長の接待の待機時間を見計らい、外食していたが、軽食が多かった。このため、帰宅後に軽い夜食をとることとしていたが、いずれの食事も、時間が不規則である上、時間に追われ、ゆっくりすることができなかった。

2  毎日の運転経路は、予め指示されていることは少なく、殆ど直前になって支店長の秘書から指示されていたため、原告は、横浜支店にいる間も、いつ呼び出されてもすぐに運転ができるように待機していた。殊に、顧客の送迎のための呼出しがあった際、たまたま原告が便所に行っていて直ちに応じられなかったことを、後刻厳しく叱責されたり、昼休み中に外部の食堂で食事をしていたところ、至急戻って運転するように命じられたりしたことがあってからは、待機時間中一層緊張を強いられていた。

3  原告は、支店長をはじめ横浜支店の幹部職員や重要な取引先の客を乗せていたので、そのことでも緊張を強いられた。特に、西森支店長については、せっかちで、同支店長の前にドアが来るように車をつけなければ乗ってもらえず、口うるさいとの評判を聞いていたこと、原告自身、同支店長からいたわりの言葉をかけてもらったことはなかったこと、歩いて五分とかからない所に行くにも自動車を使い、遠方の自宅まで送迎をしばしば命ずるなど原告に対して厳しい勤務を要求したことから、部下に対して思いやりがない人物と思い、同支店長も、原告のことを話しかけても殆ど反応のない人物と思っていた。その結果、原告と同支店長は、打ち解けることがなく、会話を交わすことも殆どなかったので、同支店長着任後は、こうした疎遠に人的関係も、原告の緊張度を高める結果になった。

四職場環境

原告が横浜支店に配属された当時、横浜支店は横浜駅西口にあったが、運転手の休憩所はなく、昭和五一年七月、現在の横浜市中区本町四丁目の三菱商事ビル五階に移転した後も、休憩所がなかった。このため、原告は、仮眠等ができる休憩所を設けるよう、横浜支店の総務課や東管の上司に何度も頼んだが、これに応じてもらえなかった。仕方なく、同ビル五階にある東京海上の子会社の部屋の片隅を借りて机と椅子を置き、そこで休憩しようとしたが、狭い上に、コンピューターのオペレーション作業の音がしていて休憩ができるような環境ではなかった。同ビル一階には、運転手の共同休憩所があったが、約五、六畳の部屋にソファーが三、四脚置いてあり、採光用の小さな窓があるだけの、換気扇もなく、空気の流通の悪い、倉庫のような場所であった。暖房はあまりきかないため冬は寒く、また、流しがなかったので、湯茶を飲むためには、水場までもらいに行かなければならず、決して休憩に適する場所ではなかった。このように、休憩所では落ちついて休めなかったので、やむを得ず、駐車場の自動車内で待機していたが、駐車場内は絶えず人の往来があり、車内では手足を延ばすことができなかったので、そこでも十分な休憩をとることができなかった。

こうした職場環境や後記の過重な勤務状況にあっても、原告は、子会社からの派遣職員という立場上、横浜支店の職員の指示命令に対して異議を述べることも、超過勤務等を断ることもできず、休憩所設置の要求を貫徹するための強い手段をとることもできなかった。

東管の上司は、原告の労働条件の改善については無関心かつ消極的で、原告の業務過重の訴えにも真摯に耳を傾けようとせず、親会社の上司とうまくやってくれと言うだけであった。

五勤務時間及び運行距離

原告の勤務時間は、車庫(自宅から徒歩で約五分の所にある)において運行前点検を始めた時点から車庫に帰り自動車から離れるまでの間で、一応、平日は午前八時三〇分から午後五時三〇分、土曜日は午前八時三〇分から午後〇時までとされ、この間の平日の午後〇時から午後一時までは休憩時間、日曜日、祭日、隔週土曜日は休日とされていたが、原告は、常に、これをはるかに超える時間、勤務していた。特に西森支店長が着任した昭和五六年七月からは、それまで、横浜駅東口までであった支店長の送迎が、一か月の約半分は、支店長宅までとなり、走行距離が長くなるとともに、勤務時間も早朝から深夜に及ぶようになった。

昭和五八年一月から本件発症の日である昭和五九年五月一一日までの各出勤日の原告の勤務開始時刻、勤務終了時刻、時間外労働時間、走行距離等は、別表1のとおりであり(なお、同表は、原告の記載した運転日誌控から作成したもので、同表の勤務開始時刻から勤務終了時刻までが一日の拘束時間であったと認められるが、同表の時間外労働時間については、各日毎の勤務時間外の拘束時間と必ずしも一致せず、どのようにして算定したのか証拠上明らかでないが、〈書証番号略〉によれば、この時間外労働時間は日報により東管に報告されていたもので、東管も、原告がこの程度の時間外労働をしていたことは承知していたものと認められるし、一か月単位でみれば、おおむね勤務時間外の拘束時間数に合致するものである。)、その詳細を、昭和五八年一一月七日から同月一三日までの一週間を例にとってみると、次のとおりである。

1  同月七日は、午前四時三〇分ころ起床し、車庫に午前五時三〇分ころ入った。二〇分ほどかけて運行前点検を行い、午前六時に車庫を出発し、支店長宅に支店長を迎えに行った。午前九時に横浜支店に到着し、その後近くの長者町のガソリンスタンドで給油し、午後六時から午後六時三〇分にかけて横浜支店と横浜市内の太田町(太田町には、横浜支店が接待に用いる料亭があった。)の間を往復した。午後九時五〇分に横浜支店を出発し、太田町で客二名を同乗させ、横浜駅東口で客を降ろし、支店長を自宅まで送り、午後一二時四〇分に車庫に戻り、午前一時まで清掃を行った後帰宅した。この日の走行距離は一七七キロメートルであった。

2  同月八日は、午前五時三〇分ころ起床し、午前六時四〇分に車庫に入った。帰宅が同日の午前一時ころだったので、睡眠時間は四時間三〇分に足りなかった。運行前点検を済ませて午前七時ころ車庫を出発し、支店長を横浜駅東口に迎えに行き、横浜支店に午前九時一〇分に到着した。午後〇時一〇分ころ支店長を横浜市内の中華街に送り、一旦横浜支店に戻り、午後一時に再び中華街に支店長を迎えに行き、そのまま横浜市内の桜木町の紅葉坂に送り、午後三時に横浜支店に戻った。午後七時五〇分、横浜支店を出発し、太田町を経由して、支店長を自宅まで送り、車庫に午後一〇時三〇分に到着し、清掃後、午後一一時ころ帰宅した。この日の走行距離は一二〇キロメートルであった。

3  同月九日は、前日と同様に出勤し、昼は、横浜市内の相生町、常磐町に支店長を送った。午後六時四〇分に横浜支店を出発し、常磐町を経由して支店長を自宅まで送り、午後一〇時に車庫に帰り、午後一一時まで洗車して帰宅した。この日の走行距離は一四七キロメートルであった。

4  同月一〇日は、午前三時三〇分に起床した。前日の帰宅が遅かったので、この日の睡眠時間は、三時間三〇分くらいであった。午前五時に車庫を出発して、支店長を自宅に迎えに行き、箱根の仙石原のゴルフ場に送った。そこで待機し、夜、支店長を自宅に送り、午後八時三〇分に車庫に帰り、午後九時三〇分まで洗車し、帰宅した。この日の走行距離は三〇七キロメートルであった。

5  同月一一日は、午前五時三〇分ころ起床し、午前六時四〇分ころ車庫に入り、午前七時ころ車庫を出発し、横浜駅東口に支店長を迎えに行き、午前九時一〇分に横浜支店に到着した。昼は、横浜市内の栄町、山下町へ往復し、夜は、午後六時五〇分に横浜支店を出発して支店長を自宅へ送り、午後一一時に車庫に戻り、清掃後、午後一一時二〇分に帰宅した。この日の走行距離は一二七キロメートルであった。

6  同月一二日は、午前六時ころ車庫に入り、午前六時二〇分ころ車庫を出発し、支店長を自宅に迎えに行き、横浜駅、横浜市内の井土ケ谷、紅葉坂を経由して御殿場のゴルフ場に送った。そこで待機して、午後四時四〇分ころ御殿場を出発し、午後六時一〇分ころ車庫に戻り、午後六時三〇分まで清掃し、帰宅した。この日の走行距離は二六三キロメートルであった。

7  同月一三日は休日であった。

このように、毎日、定められた勤務時間よりも早くから遅くまで勤務していたが、このことは、この週に限らず、他の週においてもほぼ同様であり、昭和五八年一月から昭和五九年五月一一日までの原告の超過勤務時間は、一か月平均約一五〇時間に、走行距離は、一か月平均約三五〇〇キロメートルに及び、さらに、一日の走行距離も、東管が横浜支店の運転手について、労働基準法四一条三号の断続的労働に従事するものとして、同条による行政官庁の許可を得る際に、行政官庁に提出した運転手勤務表に記載された、運転手の一日の平均走行距離約七八キロメートルを大幅に上回り、二倍にも及ぶものであった。発症直前の同年四月一日から同年五月一〇日までの原告の実際の走行時間は、別表2のとおりで、一日平均八時間以上に及んでいた。

また、自動車運転者の労働時間の改善のための基準(平成元年労働省告示第七号、改正・平成三年労働省告示第七九号)二条一項に定める一般乗用旅客自動車運送事業に従事する自動車運転者に対する一か月についての拘束時間の最高限度(三二五時間)、一日についての拘束時間の最高限度(一三時間)及び勤務終了後の休息時間の最低限度(八時間)と対比してみても、一か月の拘束時間においてその限度に近いかまたはこれを超える月が多く、一日の拘束時間においてその限界を大幅に超える日が多く、一日の勤務時間後の休息時間において、その最低限度に満たない日が多かった。

六発症直前の状況

昭和五九年四月一三日から翌一四日にかけての原告の勤務は、なかでも特に厳しいものであった。一三日は、午前六時四〇分に車庫を出発し、支店長を自宅に迎えに行き、一旦横浜支店に寄ってから、海老名市、平塚市、厚木市方面の客先を回って、箱根仙石原に送り、同所で宿泊した。その夜は、同室の者の鼾が大きく、押入れに入ったり廊下に出たりして寝つこうとしたが、結局一睡もできなかった。一四日は、仙石原を午前七時に出発し、支店長を仙石原ゴルフクラブへ送ってから、一旦横浜支店に戻って同支店総務課長を降ろし、休む間もなく同ゴルフクラブへ戻り、支店長と他二名を乗せ、支店長の自宅等へ送った。午後九時一〇分に車庫に戻り、清掃後、午後九時三〇分ころ帰宅した。走行距離は、一三日は二四八キロメートル、一四日は三四七キロメートルであった。睡眠不足の上に長距離、長時間の運転をしたため、原告は、この両日で体調をすっかり崩してしまった。

同年四月末から五月初旬にかけては断続的に五日間の休日があった。しかし、同月一日から発症前の同月一〇日までに、勤務の終了が午後一二時を過ぎた日が二日、走行距離が二六〇キロメートルを超えた日も二日あったことから、その休日では、蓄積された疲労を解消することができなかった。

発症前日の同月一〇日は、午前五時ころ起床し、午前五時五〇分ころ車庫を出発し、辻堂駅で支店長を乗せて湘南ゴルフクラブへ送り、そこで待機中に洗車、ワックスかけをし、その後支店長を乗せて午後五時に横浜支店に戻り、近くを往復した後、午後七時三〇分ころ車庫に戻った。午後七時五〇分ころ、清掃中に、エンジンオイルが漏れているのを発見し、午後一一時ころまでかかって修理を終え、午前一時ころ就寝した。

発症当日の同月一一日は、午前四時三〇分ころ起床したので、睡眠時間は三時間三〇分程度であった。洗面後急いで家を出、午前五時少し前に車庫に行き、運行前点検を済ませて車庫を出た。車庫近くの坂道を登って頂上付近にさしかかったところ、突然目の前に対向車が現れ、驚いてハンドルを左に切って急ブレーキをかけ、衝突を避けた。その後間もなく気分が悪くなり、吐き気や激しい頭痛に襲われ、やっとの思いで車庫に車を戻し、家に帰ったが、その直後に意識をなくして、入院し、くも膜下出血と診断された。

七発症に至るまでの原告の身体の状況

1  昭和四七年六月九日の健康診断では、体重63.5キログラム、最高血圧一二〇、最低血圧七八、昭和五六年一〇月八日の健康診断では、体重七〇キログラム、最高血圧一四二、最低血圧八八、血中総コレステロール一九八、昭和五七年一〇月六日の健康診断では、体重71.0キログラム、最高血圧一五八、最低血圧九六、血中総コレステロール一八五であり、いずれの健康診断においても、血圧は、正常値と高血圧の境界領域にあり、少々高めであるが、治療の必要のない程度であった。

2  昭和五一年九月二五日ころ、耳鳴り、めまい、吐き気の自覚症状があり、同年一〇月六日、戸塚医療生活協同組合戸塚病院で受診した結果、不安性神経症と診断され、右疾病のため運転等の業務を休むように指示された。そこで、一か月ほど勤務を休み、通院と投薬、休養によって治療をした。その間の同月一五日の同病院の健康診断においては、レントゲン検査、尿検査、血液検査等に異常はみられなかった。同月二五日には、守屋耳鼻咽喉科において、メニエル氏症候群の疑いで受診したが、難聴、前庭検査(眼震、指示検査、足ぶみ検査等)には特別の変化を認めない旨診断された。

3  昭和五三年五月ころ、結膜炎にかかり、横須賀市の川辺眼科医院に通院し、その後、昭和五五年一月八日から昭和五六年三月二八日までの間にも、同病院に通院した。

同年七月から、横浜市の尾上町の横浜眼科医院で両眼強膜炎の診断を受け、一週間に一回の割合で通院していたが、昭和五八年ころ以降は、同医院で原告を担当していた医師が転出したことと仕事が忙しく通院する時間がとれなかったことから、通院をやめ、薬局で目薬を買って用いていた。このころから、強膜炎のため、しばしば目が充血し、目に痛みを感じ、特に、夜間自動車のヘッドライトを点灯して走行したとき、あるいは疲労したときには、その症状がひどくなった。

4  原告は、几帳面な性格で、責任感が強く、仕事を第一に考え、家庭をあまり省みず、妻が原告の体を気づかって転職等を勧めても、これを拒んで妻を叱りつけていた。昭和五八年ころからは、顔色が悪く、目が充血していることが多くなり、いつも気分がいらだっていて、もともと我慢強い性格であったにもかかわらず、しばしば睡眠不足を訴えていた。原告は、運転日誌控(〈書証番号略〉)に身体状態等について特に気づいた点をその都度記載していたが、その詳細は、別表1の特記事項欄のとおりであり、そこにも、目が充血しまたは痛むこと、目薬をつけながら頑張って勤務したこと、身体、神経が疲れきったこと、睡眠不足であること、疲れたので休ませてもらったこと、仮眠所がないので疲れが蓄積されると感じていたことなど身体の変調を裏付ける事実が記載されている。

なお、原告には、酒、たばこ等、健康に悪影響を及ぼすとみられる嗜好はない。

(以上の事実のうち、一、二の事実は当事者間に争いがなく、その余の事実は、〈書証番号略〉、証人岩村ヨシ子の証言と原告本人尋問の結果により、これを認める。)

第四争点

本件の主要な争点は、右の事実関係のもとで、原告のくも膜下出血が原告の右業務に起因するものといえるかという点にあり、この点に関する当事者の主張は、次のとおりである。

(原告の主張)

一1  労働時間が長くなると作業の負担が増し、疲労を増大させる一方、個々の労働者の生活時間は短縮し、生活の基本要素である睡眠や食事への影響、さらには健康水準にも影響が起きることは、多くの調査事例で明らかにされてきており、残業時間が月間五〇時間前後以上になると、右のような生活週間の基本要素が変容し、残業時間が一〇〇時間以上にもなると休日になっても疲れがとれず、慢性的な疲労状況を呈する人が三分の一前後にものぼり、残業時間が五〇時間から七〇時間を超えると目の疲れや肩こり、肩の痛みなど身体局所の自覚症状を訴える率が六〇パーセントから七〇パーセント程度に増加するとの研究結果がある。また、高血圧、循環器系疾患、ストレス関連疾患の代表ともいえる胃炎・消化性潰瘍の有病率は、休日の少ない労働者ほど高くなり、残業時間の増大につれて尿中のアドレナリンというストレス性ホルモンの増大が現われるとの研究結果もある。

2  中高年の交代制勤務者は、常日勤務や交代制離脱者に比べ、循環器系の病気の有病率が高いという結果がオーストラリアの石油精製労働者の調査で明らかにされており、旧国鉄の調査では、作業強度が重作業に分類される職員の中で、徹夜作業のある職種ほど脳卒中、心筋梗塞及び狭心症の発生率が高いという結果が報告されている。

3  今日では、各種の精神的心理的ストレスが虚血性心疾患、不整脈、高血圧症などの循環器系の発症の原因の一つと考えられるようになっており、これらのストレスと循環器疾患の発症を関連づける媒介物質としてカテコールアミンの意義が重視され、カテコールアミンの血中濃度の増加が、血小板の癒着性及び凝集性の増加、レニン分泌亢進、グルカゴン分泌増加並びにインスリン分泌減少等を起こさせることで動脈硬化を促進するものと考えられている。

4  同一重量の挙上作業を正常血圧者と高血圧者に行わせた時の血圧の上昇は、最大値で二倍近くの開きが生じ、深夜便のトラック運転手の血圧上昇の幅は、往路に比べて、疲労が増えた復路で大きく、正常血圧者に比べて高血圧者の方が大きくなるとの研究結果があり、これは、正常血圧者に比べて高血圧者の方が同一の刺激に対してより大幅な血圧の上昇がみられる点、同一人でも、疲労状態の下にある場合にはそうでない場合よりも同一の刺激に対してより大幅な血圧の上昇がみられる点において、臨床医の経験を裏付けている。

5  自動車運転手の業務は、事故の危険を避けるために精神的緊張が連続すること、狭い車内で長時間姿勢を固定すること、走行の状況によっては単調感や時間に追われることによる心理的負担が生じること、刻々と変化する気象条件や道路状況などの車外環境に適応しなければならないこと、乗客、荷物を安全に輸送する責任が運転者個人に課せられていること、拘束時間が非常に長いことから、それ自体、過重性、反生理性が強い。

熟練した自動車運転手にあっても、自動車運転業務は精神的、肉体的負担を生じ、ストレスや血圧上昇の原因となる。これは、熟練した自動車運転手であっても積雪路面の運転では乾燥路面の運転に比べて心拍数、ストレス性ホルモン量が増加すること、走行速度が高まると不整脈が発生すること、急ブレーキ時には血圧が上昇すること等の研究結果により裏付けられている。

二1  発症直前の昭和五九年四月の原告の勤務実態は、労働省告示七号「自動車運転手の労働時間等の改善のための基準」中の一般乗用旅客自動車運送業従業者(タクシー労働者等)に関する基準と比較しても、一か月の拘束時間、一日の拘束時間において、いずれもこれを超え、同基準中の一般乗用自動車運送業以外の自動車運転者に関する基準と比較しても、一週間の拘束時間、一日の拘束時間、一日に拘束時間が一五時間を超える日数において、これを超え、最大運転時間、連続運転時間においても、基準限度に近く、休息期間も遵守されていない。この点においても、原告の実際の労働が、健康を保持し得る限界をはるかに超えていたことがわかる。

2  東管は、昭和三六年以降、横浜支店付きの運転手は労働基準法四一条三号の断続的労働に従事する者に該当するとして、中央労働委員会の許可を得てきた。しかし、許可を得たときに届け出た運転手の一日の平均走行距離は約七八キロメートルであるのに対し、原告の平均走行距離はその二倍以上の一六五キロメートルである。

昭和六一年の右許可の更新の際には、実際に作業する時間の合計が八時間以内であること、実際に従事する時間の合計がいわゆる手待時間の合計よりも少ないことという条件が付されていたが、原告の勤務実態はこの条件に反するものであり、実作業時間の絶対的長さ、実作業時間の拘束時間に対する比率、運転時間の長さのいずれの点からみても右規定にいう断続的労働には該当しない過重なものである。

3  原告は、以上のような劣悪な職場環境のもとで、長時間かつ不規則な労働を強いられた結果、高血圧症にかかり、その上に、疲労、ストレスが蓄積して、発症当日の朝、家を出るころには、極度の疲労状態にあり、血圧が上昇していたところ、その直後に対向車と衝突しそうになったことから、さらに血圧が上昇してくも膜下出血を発症したものというべきであるから、原告の業務とくも膜下出血の間には、相当因果関係があるというべきである。

三1  被告主張の労働省昭和六二年一〇月二六日基発第六二〇号通達「脳血管疾患及び虚血性心疾患等の認定基準について」(以下「新認定基準」という。)は、脳血管疾患等の業務起因性を肯定するための要件の一つとして、日常業務に比較して特に過重な業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められることを要求し、この過重負荷を、発症前一週間に生じたものに限定している。しかし、発症前一週間の負荷に限定して業務との関連性を認めることには、医学的根拠はない。

新認定基準の根拠となった、労働省の私的諮問機関である「脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議」の昭和六二年九月八日付け「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の取扱いに関する報告書」は、業務による諸種の継続的な負荷中でも心理的負荷が中枢神経系内分泌の変調をきたし、その総合効果が循環系に影響を及ぼし、その結果が発作の引き金役を果たすことは十分考え得るとしている。

また、新認定基準は、基礎疾患を有する労働者が発症した場合には、基礎疾患を急激に著しく増悪させる過重負荷があった場合でなければ業務上の疾病たり得ないとするが、業務の遂行と基礎疾患とが共働原因となって発症したと認められる場合には、業務との相当因果関係を認めるべきであり、この場合に発症当時の業務内容自体が日常のそれに比べて質的に著しく異なるとか、量的に著しく過激な業務でなければならないと解する合理的根拠はない。

2  そもそも、業務起因性の判断は、新認定基準のような一般的基準に拘束されることなく、個別具体的に行うべきであり、かつ、業務と疾病との因果関係の存否は、医学的因果関係ではなく法的因果関係について検討されるべきである。なぜならば、被告が、医学的な最高水準の知見を示していると主張する専門家会議の報告書においても、心理的負荷と発症との関連の詳細について医学的に未解明な部分があることを認めているのであって、およそ、ある業務が疾病の原因として医学的にみて有力か否かを議論したり立証したりするのは無意味であるからである。そして、業務と疾病との法的因果関係の有無は、労災補償制度が、優越的地位にある使用者と従属的地位にある労働者から成る資本主義の経済構造のもとで、不可避的に発生する労働災害に遭遇した労働者とその家族を救済することを目的とし、死亡、負傷または疾病が業務上であることのみを要件に補償を行う法定の救済制度であり、対等な市民相互間において不法行為により発生した損害の公平な分担を目的とし、原則として故意、過失を損害負担の要件とし、例外的に無過失責任を認める民法上の不法行為に基づく損害賠償制度とは目的、要件を異にする制度であることを考慮して判断されなければならない。

(被告の主張)

一労働者に生ずる疾病の中には、業務がなければ疾病がないという意味で業務と疾病との間に条件関係がある場合もある。しかし、このような単なる条件関係があることをもって直ちに業務起因性を肯定するのは相当でなく、条件関係があることを前提としつつ、さらに業務と疾病との間に災害補償責任を肯定することを相当とする関係、すなわち相当因果関係があることが必要である。

疾病の原因について各種の因子が競合している場合には、これらを総合的に考察し、業務自体またはその遂行が質的にみて相対的に有力な原因になっているか否かを検討し、業務自体またはその遂行が質的にみて相対的に有力な原因になっているとみられるときに、業務と疾病との間の業務起因性を肯定すべきである。すなわち、当該疾病が労災保険給付の対象となり得るのは、被災労働者の従事していた業務が疾病を生じせしめる具体的危険を有しており、この危険が現実化して発症したためであるから、当該業務に内在する危険性と他の因子を比較して、業務上の危険が発症に対して質的に有力に作用したと認められるときに、業務自体またはその遂行が質的にみて相対的に有力な原因になっているといえるのである。

二1  脳血管疾患等について業務起因性の有無を判断するには、脳血管疾患等が、業務に伴う有害因子により、その自然的経過を超えて発症したと認められるか否か、すなわち、発症の原因である急激な血圧変動や血管収縮等が業務によって引き起こされ、血管病変等がその自然的経過を超えて急激に著しく増悪して発症に至ったか否かを検討し、これが肯定された場合に、発症について業務が相対的に有力な原因であり、発症が業務に起因するとされることになる。

ところが、脳血管疾患等は、具体的事例において、いかなる経過で発症したかという点について、医学的解明が難しく、各種の因子と発症との間の条件関係自体が明らかでないことが少なくない上、各種の有害因子が発症に及ぼす影響の質、程度も個人によって著しく異なるので、発症について業務が相対的に有力な原因といえるか否かを何らの基準もなく判断しようとすると、判断が区々に別れ、統一的かつ妥当な判断を確保できなくなる。

2  そこで、労働省労働基準局長は、新認定基準を発して、業務起因性について斉一かつ妥当な決定を確保することとした。これは、脳血管疾患等の専門医師により構成された「脳血管疾患及び虚血性心疾患に関する専門家会議」が昭和六二年九月に明らかにした「過重負荷による脳血管疾患及び虚血性心疾患等の取扱いに関する報告書」に基づき、各疾病についての現在の最高水準の医学的知見を集約し、業務と疾病との関係について、有害因子とその曝露期間等及びそれによって引き起こされる疾病の経過等に関する研究を基礎として、業務による負担が疾病の発症に対して医学上相当程度明確に認められる場合を類型化し、業務起因性を肯定するための要件を掲げたものである。

3  新認定基準によれば、脳血管疾患等について業務起因性が認められるためには、(1)発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関連する出来事に限る。)に遭遇したことまたは日常業務に比較して特に過重な業務に就労し、業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたと認められること、(2)過重負荷を受けてから症状の出現までの時間的経過が、医学上妥当なものであることのいずれの要件をも満たすことが必要であるとされている。ここでいう「過重負荷」とは、血管病変等をその自然的経過(加齢、一般生活等において生体が受ける通常の要因による血管病変等の経過)を超えて急激に著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる負荷をいう。「異常な出来事」とは、具体的には、極度の緊張、興奮、恐怖、驚がく等の強度の精神的負荷を引き起こす突発的または予測困難な異常な事態及び緊急に強度の身体的負荷を強いられる突発的または予測困難な事態並びに急激で著しい作業環境の変化をいう。「日常業務に比較して、特に過重な業務」とは、通常の所定業務に比較して、特に過重な精神的、身体的負荷を生じさせたと客観的に認められる業務をいい、客観的とは当該労働者のみならず、同僚労働者または同種労働者にとっても、特に過重な精神的、身体的負荷と判断されるものをいう。

発症と業務との関連については、医学経験則に基づき、具体的には次のように判断する。①発症に最も密接な関連を有する業務は、発症直前から前日までの間の業務であるので、この間の業務が特に過重であると客観的に認められる場合には、発症に直接関与したものと考える。②発症直前から前日までの間の業務が特に過重であると認められない場合であっても、発症前一週間以内に過重な業務が継続している場合には、急激で著しい増悪に関連があると考えられるので、この間の業務が特に過重であると客観的に認められるか否かを判断する。③発症前一週間より前の業務については、たとえ過重な業務が継続していても、通常この業務だけで発症との関連性を認めることはできない。これは、発症前一週間以内における業務の過重性の評価に当たって、その付加的要因として考慮するにとどめる。過重性の評価に当たっては、業務量のみならず、業務内容、作業環境等を総合して判断する。

4  新認定基準は、継続的な心理的負荷や疲労の蓄積については、これらに対する生体反応には著しい個人差があること、これらは一般生活上も存在すること、脳血管疾患等との関連性について医学的に未解明の部分が多いこと等の理由から、過重負荷として評価するのは困難であるとして、これらを過重負荷とは規定していない。

5  新認定基準は、そこに掲げられた要件と異なる形態で発症する疾病について業務起因性を否定するものではない。ただし、前記のとおり、そこに掲げられた要件を具備しない場合は、医学上の経験則からして、一般的に業務が脳血管疾患等の疾病を生じせしめる具体的危険を内包しているとはいえない。したがって、そのような場合に業務起因性を立証するためには、業務と疾病との間に相当因果関係があり、業務が疾病の発症にとって相対的に有力な原因であったことを、医学上も肯定し得る程度に、個別具体的に立証しなければならない。

三1  原告の発症は、次に述べるとおり、新認定基準が定める業務起因性の要件を満たしていない。

原告は、発症当日の五月一一日、自宅近くの坂の頂上付近で対向車と衝突しそうになりハンドルを左に切り、ブレーキをかけて接触を避けたことが、血圧を急激に上昇させ、くも膜下出血を発症させる直接の原因になったと主張するが、そのような出来事が実際にあったのかは疑わしいし、仮に、そのことがあったとしても、原告は運転業務に熟練していたので、過重負荷になるとは考えられない。それ以外に、異常な出来事とされる事実はないので、原告の発症前に、発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事に遭遇したことがあったとはいえない。

2  発症前日の運転時間は合計五時間四〇分で、通常の日の約三分の二足らずであった。原告は、その後エンジンオイル漏れを修理し、それが原因で睡眠不足になったと主張するが、その事実があったのかは疑わしいから、発症直前から前日までの間の業務が特に過重であったとみることはできない。また、発症前一週間以内の業務は、五月四日、七日ないし九日の運転時間はいずれも長時間にわたるが、従前に比べて特に長いとはいえず、またこの一週間に休みが二日あるので、この間の業務が特に過重であったとはいえない。したがって、発症前に、新認定基準にいう日常業務に比較して特に過重な業務に就労したともいえない。

四以上のとおり、原告の発症は、新認定基準が定める業務起因性の要件を満たしていないから、業務と疾病との間に相当因果関係があることを肯定するためには、業務が疾病の発症について相対的に有力な原因であったことを、医学上も肯定し得る程度に個別具体的に立証しなければならないが、原告主張のいずれの事実をもってしても、これを立証し得たとはいえない。

第五証拠関係〈省略〉

第六争点に対する判断

一くも膜下出血発症の機序

〈書証番号略〉、証人馬杉則彦、同前原直樹の各証言によれば、次の事実が認められる。

1  くも膜下出血の原因となる代表的な疾患は、脳動脈瘤、動静脈奇形、高血圧、脳動脈硬化性疾患であるが、このうち、脳動脈瘤の破裂を原因とするものの割合が一番多い。そして、動静脈奇形の場合には、画像診断によって出血場所が発見されるのがほとんどであるが、脳動脈瘤の場合には、画像診断によって出血源を確認することができないこともあり、これは、破裂した動脈瘤が血栓化し、または、動脈瘤が二ミリメートル以下の小さなもので周囲の血腫に押しつぶされてしまったことにより動脈瘤を発見することができなくなったためと考えられている。

原告の場合、発症後の画像診断によっても出血源を確認することはできないことからすると、そのくも膜下出血は、脳動脈瘤の破裂が原因である蓋然性が高いといえる。

2  脳動脈瘤の発生要因については、胎生期脳血管網が成人の脳血管に移行する過程で先天的に発生するという見解が有力であり、後天的な脳動脈瘤の存在を認める見解においても、ほとんどの脳動脈瘤は先天的なもので、破裂する脳動脈瘤は先天性の嚢状のものが多いとされている。

3  脳動脈瘤の拡大の機序に関しては、動脈瘤自体も血管の一部であるから、加齢とともに動脈硬化を生じ、そのために動脈瘤の壁が脆くなって血管や動脈瘤の壁の中で小出血が起こり、その部分がさらに脆くなって動脈瘤の壁の一部が大きくなるといった過程を繰り返すことによって動脈瘤そのものが大きくなっていったり、数珠状に連なっていったりすること、血流及び血管内圧により動脈瘤に内圧がかかり、動脈瘤の壁の弱い部分が徐々に大きくなっていくことが指摘されている。

4  脳動脈瘤の破裂の蓋然性は、動脈瘤の壁の脆弱性と動脈中を流れる血流の圧力との相関関係によって決まる。動脈瘤自体の拡大または血管内圧により動脈瘤の壁が弱くなっていれば、血流の圧力がわずか上昇したことによっても破裂するし、動脈瘤の壁が弱くなっていなければ、かなりの圧力が加わらない限り破裂することはない。

くも膜下出血時の状況に関する研究で有名なイギリスのロックスレーの統計結果によれば、脳動脈瘤の破裂の機会は、睡眠中が三六パーセント、肉体的精神的にストレスがない状態が三二パーセント、挙上・うつ向き、興奮、排泄、咳、性交、手術、分娩といった肉体的精神的にストレスのある状態が三二パーセントであるとされる。これをもって、脳動脈瘤の破裂と外的ストレスとの間に特別な相関がないことを示すものであるとする見解もある。しかし、挙上・うつ向き、興奮等肉体的精神的にストレスのある状態が継続する時間は、どう見積もっても一日(二四時間)の三分の一を占めるとは考えられず、もっと短いはずであるから、それにもかかわらず、破裂の三分の一以上がこのような短い時間中に生じているとすれば、破裂の発生が外的ストレスと全く無関係に起こるという仮説は否定されることになる。

わが国で最も多く脳動脈瘤を扱っている東北大学における統計によれば、睡眠中及び特に肉体的精神的ストレスのない状態に破裂したものが約三分の一、何らかの労作時に破裂したのが約三分の二であるとされ、同大学の小松医師らは、その他の調査を加味して、季節や気象のようなゆっくり変化する因子は直接脳動脈瘤破裂には結びつかないが、急激に、しかも強力に血圧を上昇させるような因子が特に安静時に作用する場合に脳動脈瘤破裂を誘発するとしている。

これらをはじめとする諸研究により、現在では、一般に、脳動脈瘤の破裂に必ず血圧の上昇が先行するとはいえないが、急激な血圧の上昇が破裂に関与することは否定し得ないと考えられている。

5  疲労の蓄積やストレスがどのような機序によって血圧の上昇等の身体の変化を引き起こし、脳血管疾患等の循環器系の疾病を発生させるかについては、いくつかの試論はあるものの、未だ明らかにされていない部分が多い。しかし、残業時間が長くなると身体の不調を訴える者が増え、胃炎・消化性潰瘍等の有病率が増加すること、不規則勤務者はその他の者に比べて循環器系、消化器系の発症率が高いこと等の研究結果が発表されており、これら既存の研究結果からすると、長時間勤務、不規則勤務やそれに伴うストレスが身体に悪影響を及ぼし、脳血管疾患等の循環器系の疾病の一つの原因となり得ることは否定し得ないと考えられる。

6  同一作業を正常血圧者と高血圧者に行わせた時の血圧の上昇は、高血圧者の方が大きく、深夜便のトラック運転手の血圧上昇の幅は、往路に比べて、疲労が増えた復路で大きいとの研究結果もあり、正常血圧者に比べて高血圧者の方が同一の刺激(例えば急ブレーキ等)に対してより大幅の、同一人でも、疲労状態の下にある場合にはそうでない場合よりも同一の刺激に対してより大幅の血圧の上昇が生じ得ることは否定し得ないと考えられる。

7  熟練した自動車運転手にあっても、精神的緊張を要する雪道の運転においては、乾燥した道の運転に比較して心拍数やストレス性ホルモンの量が増えること、高速度の運転では低速度の運転に比較して心室性外収縮(不整脈)の発生が増加すること、急ブレーキをかけた時に血圧が上昇すること等の研究結果があり、熟練した運転手といえども、通常よりも精神的緊張を要する状況の下では、血圧の上昇等の身体的変化が生じ得ることは否定し得ないと考えられる。

二原告の発症と業務の関係

ところで、疾病と業務との因果関係をどうとらえるかについては、さまざまな考えがあるところであるが、これを被告の主張するように新認定基準の要件を満たさない場合には、医学上個別具体的に立証しなければならないとすると、本件の場合は、もともと現代の医学において解明されない部分の多い分野のことであるから、不可能な立証を強いることになる。しかし、この場合に要求される因果関係とは、労災補償制度との関係で必要とされる法的評価としての因果関係であって、医学的、自然科学的因果関係そのものではないから、医学的、自然科学的因果関係を一点の疑いもないほどに立証することができなくても、現代の医学からみてその因果関係が存在する可能性があり、他の事情を総合検討し、業務が疾病の原因となっていたとみられる蓋然性が証明されたときは、因果関係があるというべきである。そして、基礎疾病が原因となっている場合であっても、当該業務の遂行が当該労働者にとって精神的、肉体的に過重な負荷となり、基礎疾病をその自然的経過を超えて増悪させて発症させるなど、それが基礎疾病と共働原因となって生じたものと認められるときは、業務上の疾病というべきである。

この見地に立って、先に述べたくも膜下出血の発症の機序、原告の職務の内容、職務の特殊性、職場環境、勤務時間その他原告に加えられた業務による負荷等を総合して検討すると、原告の疾病と業務の関係は、次のとおりであると認められる。すなわち、原告の血圧は正常値と高血圧の境界領域にあり、脳には先天的なごく小さな動脈瘤があったが、それらは加齢と日常生活等による自然的経過により脳血管疾患を生じさせるほどのものではなかった。それが、原告をめぐる職場環境と職務の性質からくる精神的緊張の連続、不規則かつ長時間の勤務による肉体的疲労の蓄積等により、発症当日の朝、家を出るころには、僅かの刺激によっても血圧が上がり、脳動脈瘤が破裂しやすい状態にまでなっていたところ、そこへ、対向車と衝突しそうになって急ブレーキをかけたことによる急激な血圧の上昇が加わり、脳動脈瘤が破裂してくも膜下出血を発症させたものとみることができる。

そうすると、原告のくも膜下出血は、先天的血管病変である脳動脈瘤が一因となって生じたものであるが、過重な業務が原告にとって精神的、肉体的に過重な負荷となり、その基礎疾病をその自然的経過を超えて著しく増悪させて発症に至らしめたというべきであるから、右疾病は業務上の疾病であるというべきである。

三結論

よって、原告のくも膜下出血には業務起因性がないとして休業補償費の支給を認めなかった本件処分は違法であり、その取消しを求める本訴請求は理由があるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小林亘 裁判官櫻井登美雄 裁判官中平健)

別表1〈省略〉

別表2〈省略〉

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